1919年12月
竹尾式イオン滲透療法の創始者 竹尾時丸翁が、旧日本国陸軍に入隊。

1920年11月
二階級昇進して、歩兵上等兵になる。

1920年12月
伍長勤務上等兵に昇進。同日、銃剣助教授を拝命。
日々、軍務に努力中、突如として體に異常が起り、軍医の診断によって結核性胸膜炎と宣告され、直ちに衛戌病院に入院。

1921年5月
衛戌病院にて療養中、現役免除を言い渡され、即日除隊。
除隊命令が出て帰郷する最後の一夜は、ただ胸部疾患に対する生命の不安と、胸部疾患を極端に嫌忌する郷里村民に感情等を想起して、前途に対する希望光明は全く消失し、まんじりともせず一夜を明かす。

帰郷するも、案に違わず村民の冷眼と嫌畏の中に病状の不安に嘆きつつも療養に努める。
しかし、療養に心魂を打ち込むが病状は依然として変化がなく、生きる希望は破滅し自殺の決行を考えたのは、この時代であった。

この苦悩の断崖に立たされている時
「死を生の歓喜に換えよ」と言う心の叫びを聞き、病魔を征服する決意を固め、故郷、大分の地を後に大阪に転出。

実兄が大阪の朝日新聞社に勤務していた関係上、実兄に阪大病院への入院を奨められるが、感ずる処があって、この奨めを謝絶。
市内で販売されている小型電氣治療器を購入。
一意専心の思いで、電氣療法の工夫に精進する事、六ヶ月間に及ぶ。

この療法で、結核性胸膜炎は完全に治癒し、病氣全快の歓びは、進んで同病者、及び巷の慢性疾患者に対する同情となり、これが救済に乗り出す決意を固める事になる。
後年、イオン滲透療法を天職とする動機となる。

イタリアのルイ・ガルヴァー(ルイージ・ガルヴァーニ)は、1789年、イオン滲透作用が、疾病の改善に効果が顕著である事を発見した。
その後、ブレンネルは電極法を発明し、電氣診断と治療上に画期的進歩を促した。
又、エルプは電氣生理学に新分野を開拓し、その他、諸学者によってイオン療法の研究は白熱化するに至り、イオン滲透療法は遂に医学会を風靡する勢いとなる。

以来、イオン療法は諸学者によって徐々に研究と改良が積まれるが、電氣生理と電流の関係、並びに電極の選定方法に関しては、科学的効果を満足させるまでの改良がなされていなかった。

そこで、従来の諸学者の業績を基礎として、考察、研究、多年の臨床実験を参考に工夫改善を加え、"竹尾式イオン滲透綜合療法"が誕生。

1927年5月
竹尾式イオン滲透総合治療研究所を創設。

1944年7月
大阪府軍事課 大日本傷痍軍人会大阪府支部 公認治療所を開設。

1949年7月
京阪電鉄株式会社 健康保険組合 嘱託。

1950年5月
厚生大臣より復員患者療養の認可を得る。

1955年6月
竹尾式イオン滲透療法機の商標認可を得る。15923号

1956年7月
大阪府立衛生研究所において、イオン滲透療法機を用い、結核菌の培養菌で実験する予定であったが、当研究所が結核菌を入手する事が困難の為、代用の化膿性ブドウ球菌に対して実験した結果、殺菌力が顕著なる事を証明。

1957年4月
大阪府立衛生研究所において、イオン滲透療法機を用い、大腸菌に対し実験した結果、殺菌力が顕著なる事を証明。

1957年4月
岡山大学昆虫学教室において、イオン滲透療法機の一部である紫光線(デアテルミー電流)よりオゾンを発生させ、蚕病に対する実験の結果、殺菌力が旺盛なる事、及び消毒効果が顕著なる事を証明。

1957年6月
京都繊維大学において、イオン滲透療法機の一部である紫光線よりオゾンを発生させ、蚕病に対する実験の結果、殺菌力が旺盛なる事、及び消毒効果が、顕著なる事を証明。

1959年8月8日~1960年10月5日
大阪歯科大学 微生物学教室においてイオン滲透療法機を用い、動物実験シュワルツマン反応で、イオンは弱アルカリ性なる事。
抑制に関する研究の結果、各種薬剤に対して、塗布試験法、皮内注射法によって、また陰イオン通電によってもシュワルツマン反応抑制効果を認め、幾多の新知見を加えた事を証明。

1964年10月
医療用具製造業の許可を得る。 許可番号「阪用」第四十六号

 

創始者 竹尾時丸翁 曰く、
「良くはなっても悪くはならぬ、信じなくても寝てれば(施術)治る」

イオン滲透療法の創始者は、現在の平均寿命を大幅に上回る天寿を全うしました。
「健康と美と若がえり」竹尾時丸著より

 

2019年12月
竹尾式イオン滲透総合治療研究所を閉鎖

 

竹尾式イオン滲透機は、複合型治療機として改良を重ねた結果である最終型において研究も終わりを迎え、その多機能の内"病根退治療法"である陰イオン滲透療法のみが、現在の「スマートイオン」という形で技術的に引き継がれています。

ちなみに、1963年のノーベル医学賞は「神経細胞膜の周辺および中心部における興奮をつかさどるイオン機構の発見」という神経生理の研究者、以下3名に贈られました。
イオン学説がどんな神経細胞にも当てはまる事は、アラン・ロイド・ホジキン博士(英国ケンブリッジ大学)によって証明されています。

 

このように、陰イオン滲透療法は「1927年5月に総合治療研究所を創設」と言う様に歴史は長いのですが知名度がありません。
「この療法を埋もれさせては人類の損失」との想いで、創始者同様に、陰イオン滲透療法の施術を天職とし、その意志を受け継いだ神奈川県湯河原町のイオン滲透療法統括 馬場勝男氏により"陰イオン滲透療法師会"が創設されました。

機器も、さらに改良に改良を重ねられ、家庭用としての使用、ならびに持ち運びもできるよう軽量・小型化された、現在のスマートイオン(陰イオン滲透療法機)が誕生。

 

当院も、創始者そして馬場勝男氏と同様、この素晴らしい療法を絶やすことなく未来に繋げてゆけるようにとの想いで活動しております。